今日はまた昔話をしたいと思います。
私はテレビ事業本部の一般海外事業部という部署に配属され新人として日々精進しておりました。入社後にまず担当したのは電源回路で当然一人で担当できる腕はないのでベテラン担当者に付いて毎日教科書と回路図とパターン図を見ながら論理検証と試作品の実機を見比べておりました。もう設計は終了しており、いよいよ工場でのオンライン(生産開始)を間近に控え緊張はピークに達しておりました。先輩方は工場でスタンバイしており日々状況が日本の部署へ報告され事業部、現場とも対応に追われておりました。現場からの電話やFAXが怖かったです。
いよいよオンライン3日前となりもう量産Go(実際はマウントGo)といったある日、工場の資材からある部品が納品されないという報告がやってきました。部品は1モデルでも1000点以上ありますが、当然その中の一つでも足りなければ作れません。その部品は電源回路で使われるブロックケミコン(大型の電解コンデンサ)でした。課長からすぐに呼ばれ部品メーカーに確認し調達方法を考えろという指示でした。この時点で量産計画の変更は不可能でもしオンラインできなければ当然ながらスケジュール通りの出荷も厳しくなります。これは非常に大変なことで単に販売会社への信用がなくなるだけでなく、契約違約金の支払いなども生じます。当然工場の生産計画も大きく変える必要がありほかのモデルの生産計画も変わります。要するに3日後にマレーシアの工場のマウンターに部品をセットしなくてはいけないという事です。部品メーカーの担当者と連絡を取り部品の調達を考えました。世界中の在庫を確認してもらいさらに部品メーカーの工場での生産も何とかできないか色々と協議しました。その結果マレーシア調達分だけでは足りなく日本の工場で生産した物を至急送らないといけないことになりました。しかし、通常の輸出ではとても3日ではマレーシアに送れません。状況を課長に報告したところ、部品メーカーから部品を受け取っておまえが工場へ持って行け(ハンドキャリーしろ)、との指示でした。いきなりの出張命令でした。2時間後には私の机の上には飛行機のチケットとインボイスがさらっと置かれており、その後部品メーカーから不足分のケミコン5000個ほどが届きました。5000個ほどのケミコンというのは一辺が1mの段ボール箱一箱以上です。段ボールに詰められないケミコンはスーツケースに入れ私の荷物とともに何とか手荷物2つに抑えました。飛行機はマレーシア直行便が取れずシンガポール経由クアラルンプールになりました。夕方発の便で成田発なのですが、成田でチェックインしようとしたところ手荷物の重量が30Kgを超えていたためエクストラチャージを取られてしまいました。ま、当然なのですが。そのときはまだ全くの素人だったため、そこでビジネスクラスにアップグレードするとかいう技を使えませんでした。(ビジネスクラスは手荷物の重量制限が増える)
ようやく飛行機に乗り(大好きなSQでした)ちょっと落ち着けるのですが、ここで寝ていてはいけません。部品が無事工場のマウンターに届くまでのシナリオを考えてそこに潜むリスクを考えていました。が、まだ新人の私に想像できることなどたいした事はない(今となってはほんとにそう思います)のですが、やはり不安です。この後待ち構える中ボスキャラをこの時点で想像できる訳がありません。やはり仕事はその前線に立ってなんぼです。
飛行機は約8時間後にチャンギ空港に着きました。もう22時ぐらいでしたが、乗り継ぎが短く走って次の便のゲートに急ぎます。ちょっと急ぎすぎ時間ができたのでゲート前の椅子に座って雑誌を読んでいました。周りにもサラリーマンらしき人も居たのでそれに混じって余裕をかましていました。雑誌を読みふけっていると周りの人がなんか居ない。もう搭乗始まってる? と思いゲート前の掲示板を見るとゲート変更になってるじゃないか! さすが周りのサラリーマンは早い。 猛ダッシュで新ゲートに向かうともう乗り込んでる最中でした。やはり海外を飛んでる日本人サラリーマンは動きがいい。
SIN-KULは1時間ほどです。乗り込んだ飛行機はMHで結構ぼろい。機内サービスもありません。1時間はあっという間ですぐにマレーシア国際空港(もう古い方です。名前は非常に難しいので未だに覚えられませんでした)に到着し、入国審査を早々に済ませ(ここは難なく通過できた)、一番大切なケミコンを受け取るため、荷物ゲートで待ちます。しかし、ここで中ボス。30分ぐらい待っても出てきません。もう周りの客もかなり減って私を含め数人になりました。ひょっとしてチャンギでロストか? いや、そもそも成田で積み忘れ? もう、血の気が引きました。実は荷物のロストは結構よくあります。私も2回ほど経験があります。直行便なら比較的安心なのですが、経由する場合経由地で荷物が違う便に乗ったり(いきなりロンドンとかに行ったこともありました)、積まれなかったりします。日本の空港はそういうミスはあまりないのですが、海外の空港は本当に当てになりません。急いでカウンターに行き検索してもらいます。係員の人からシンガポールでちゃんと乗ってるのは確認できたので来てるはずだという事だったので、待つこと10分、なんかぼろぼろになった箱が出てきました。いい加減にしろと言いたかったですが、そんな暇はありません。既に0時過ぎてましたので。気を取り直し、段ボール箱にロープを巻き箱を引きずりながらカスタム(税関)へ。会社の先輩からマレーシアの税関はいい加減だからグリーンベルト(非課税申告ゲート)を行けばいいと、まんまとだまされていた私はグリーンベルトを通過しようとしていました。しかし、1m四方のでかい段ボール箱をロープで引きずっている奴をそのまま通す訳がありません。もう深夜の空港出口で人もまばらで暇そうにしている税務官5人に囲まれ、ちょっと来いと引っ張られてしまいました。あっさりと箱と手荷物すべてを開けて見せろと言われ、そこで口で交渉するなどという高度な技を持っていなかった私としては言われるまま、手荷物と部品すべてをぶちまけ、尋問開始となりました。これは何に使う?から始まり、インボイス持ってるだろ? インボイスありながらなぜグリーンベルト? マレーシア初めてだろ? おまえ誰だ? と状況は悪化の一途をたどり遂に別室に入れられ、パスポート、社員証を取り上げられ尋問されること1時間ほど、税関のちょっと偉い人と思われる人がやってきて、今すぐマレーシアの工場に連絡しろと言われました。しかし、もう夜中、人は居ません。その旨説明しましたが、私が会社の人間であることが確認できない限りここを出せないと言われました。もう泣きそうでしたが、どうしようもないので現地に赴任している先輩に電話をして状況を説明したところ、すぐに空港に迎えにきてもらえることになりました。先輩を待つこと30分ほど、ようやく先輩から説明してもらい私が会社の社員であることは信じてもらえました。が、肝心の部品は税関で保留するとのこと、おい、そこが一番重要なんだよ、と思いながら私が焦っていると先輩が交渉し朝に工場の現地の人間を引き取りに来させるという事で話がまとまりました。おまけに現金でデポジットを山のように要求されましたが、先輩があっさり払っていました。ま、この辺は色々あります。
先輩と空港を後にし、私の宿泊予定のホテルに送ってもらいました。さすがに先輩も眠いという事でホテル前で別れ、私は一人ホテルにチェックインしようとしました。庶務さんからはホテルの予約も確認していましたが、予約番号などを控えてくるのを忘れていました。で、受付で私の名前を告げ予約している旨を伝えたところ、”No book with your name”、予約無い、と言われてしまいました。おい、もう3時過ぎてるのに、眠れないのか? と途方に暮れてましたが、もう何とかしてくれ、うちの会社の社員がいつも使ってるじゃないかとごねていたら一部屋用意してくれました。やっぱり海外では言ったもん勝ちです。しかし、部屋に入った時には4時を回っており、6時には起きて工場へ行かなくてはいけません。結局1時間ちょっと気を失っただけでした。7時に先輩がホテルに迎えに来てくれ、そのまま工場へ向かいました。工場では先輩たちが待っていてくれ、よく来れたな、と言う訳のわからんことをぬかしておりました。で、経緯を話し、部品はまだ持って来られなかった事を話すと、”おまえだけ来てどうする”と元もこうもないことを言われる始末。しかし、工場のマレーシア人社員が既に空港に部品を受け取りに向かっていて、私が工場到着後1時間後には無事ケミコン5000個をラインに投入可能となりました。一応、私の任務完了です。ここで、もう気を失いそうになりましたが、日本にいる課長に報告しようやく終わったか、と思った瞬間、課長からはそのまま製品出荷まで現地で対応しろと言われました。君の飛行機チケットオープンだからいつまで居ても問題ないとか言われてしまいました。飛行機のチケットのこともよくわかっていなかったのですが、私が渡された飛行機チケットはオープン(要するに片道チケット)だったのです。課長としてはハンドキャリー後、そのまま現地でのオンライン要員として現地対応させるつもりだったのですね。ま、普通そうですけどそう言ってくれ。前日の税関で尋問を受けた時にチケットも確認されましたが、オープンチケットだったのはかなり悪印象だったことでしょう。今となってはこの辺のことはぬかりなくできますが、何も知らない新人にはハードなOJTでした。
その後2週間ほどマレーシア工場に滞在し、その間にはさらに色々と修羅場がありました。日本に帰国する頃にはもう半年ぐらい経ってるんじゃないかと思うほど、いろんな経験をしてました。世界を股にかける仕事のほんの一部分を経験するきっかけでした。正直、世界で仕事するのは言うとかっこいいですがやるのはかなりしんどいです。たくさんの海外出張で飛行機移動中に商社の方とかともお話しすることもありましたが、本当にしんどいです。ただ、おもしろいし、こうやって話のネタにもなります。
今や情報だけなら誰でも世界を股にかけることはできるでしょうが、やはり自分の足と五感で股にかけましょう。きっと今まで見えなかった物が見えるようになります。
以上、私の昔話でした。