パラノイア

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私は幼い頃からモノに対する執着心が強い。若干だが収集癖もある。実際はモノだけではなく現実に起きていることに対する執着心が強いかもしれない。

パラノイアという言葉をご存じだろうか? 私はうつ病にもなったが、精神的な構造にやや難がある人間なのかもしれない。私の中のパラノイアが潜在意識に影響していると感じる。

私の父、祖母、祖父がこの世を去った時には私はすでに居を東京に移し家族とは離れて暮らしていた。たまの帰省の時にのみ家族と会うだけだった。でも、実家は私が上京した時とほとんど変わっておらず、いつも実家に帰ると父も、祖母も、そして祖父も死んでいることを感じる事が出来ず、ただいないだけとしか感じられないのである。当然、亡くなった時に葬式にも立ち会い、骨も拾った。でも、その死が未だに自分の中では理解できていない、死を否定はしないが肯定もしないような感情、または妄想を抱いているのである。

特に、私の祖父とは亡くなる数年前からSkypeで毎日のように話をしていた。私が自作PCを作った際に古くなった部品を集め一台おじいちゃん用のPCを作ってあげたのだ。今は、そのPCは私の母が使っている。しかし、今でもおじいちゃんのPCが立ち上がりSkypeがオンラインになると、そのままクリックすればおじいちゃんが出てくるのではないかと思ってしまう。実際は私の母が出てくるのだが。

祖父に幼い時から可愛がられこの年までおじいちゃんと呼びその関係は幼い時と変わっていなかった。だから、私の中で祖父に対する執着心は自分が思っている以上に大きいのかもしれない。

そんな私の中のパラノイアをおさめるために祖父の遺骨を分骨し、私が東京で引き取ることとした。その祖父の遺骨を見て自分を納得させるために、かもしれない。実は、祖母の遺骨も既に私の自宅にある。祖父と祖母の遺骨を並べて祭っておこうと思う。

生き物の心というものは難しい。実態があるようで、無いようで。でも明らかに心により肉体は支配されているし、また肉体からの作用で精神は影響を受ける。しかし、私はどちらが先にあるかと聞かれれば、精神と答える。全ての事象は精神活動からなされるものだと考えるからだ。仏教思想でも”実態は空”と説いている。そう判っているのに、パラノイアってのはやはりおかしいのだろうか? いや、やはりそれが人間なのだろう。

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このページは、えびが2008年2月 5日 11:01に書いたブログ記事です。

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